手抜で悪いか‼

手抜きで悪いか‼

子育てや家事、主婦歴35年以上の私の裏技教えます

切ないな・・・

今日は秋篠宮紀子妃殿下の57歳の誕生日なんだそうです。長女の眞子さんが国民の反対を押し切って結婚された後、秋篠宮両殿下は酷いバッシングを受けておられる毎日。

皇族のだれよりもお仕事をされているのに本当にお気の毒に思います。

去年の誕生日では、庭にモッコウバラを植えられアーチを作る計画を書かれていました。モッコウバラは眞子さんのお印の花です。『いつか長女とモッコウバラのアーチをくぐりたい』という部分で思わず涙が出そうになりました。

今年も長い文章の最後に『眞子の近況については本人の希望もあり、お答えは控えます。庭に作り始めたモッコウバラのアーチは、シュートが伸びて少しアーチらしくなり今年の春に可憐な小さな花を咲かせました。時間がかかると思いますがアーチが出来上がることを楽しみにしております。遠く離れた場所で暮らしていますが、眞子の幸せをいつも願っております。』と・・・・切ないな・・・・

 

今私は過去の少年犯罪で死刑になった事件を調べています。死刑囚がどんな境遇で育ったのか、死刑執行までの間、そのような変化があったのか・・・・

最初に調べたのは永山則夫についてです。死刑判決の時『永山基準』とかニュースで言いますが、その基準となった死刑囚です。彼は19歳の時、事件を起こしますが米軍基地に侵入し小型拳銃を盗み、4人を殺害してしまいます。その彼の生い立ちが壮絶すぎる。貧困で父親はギャンブルで家に寄りつかず、母親は魚売りの行商に出かける。場所は北海道の網走。7人兄弟の則夫は下から2番目。そのほかに長男が高校生の時に作った子供も1人いたという。則夫か5歳の時、母親は則夫を含めた4人の子を残して、自分は数人の子どもを連れ、実家のある青森に帰ってしまう。網走の凍てつく冬に4人の子は母に捨てられた。ゴミをあさったり、漁師が落とした魚を拾ったりして4人は飢えをしのいだが、一番下の則夫は毎日兄に暴力を振るわれる。近所の人が見かねて行政に訴え、母親のもとに4人の子どもは送られるが、生活は何も変わらない。

中学を卒業し、集団就職で上京する則夫に向かって母親は「明日から則夫がいなくなるから赤飯作ってお祝いしよう」という母親。誰一人駅に見送るものもなく電車に乗った則夫。後に母親になぜ則夫を嫌ったのかと聞くと「歩き方が父親に似てて腹が立つ」と言ってる動画がありました😱 その母親も子供のころ、自分の母が再婚した義父に折檻され、天井から逆さにぶら下げられたりしたこともあった。夜でも義父が怖くて家を飛び出して寒い夜を過ごしたこともあった。母親から「おまえは死んだ方が楽だから死ね」と言われた・・・のちに則夫は「母親の子どもの頃のことを知ってたら俺は犯罪者にはならなかったかもしれん」と言っています。上京した後も、うまく行きかけては挫折を繰り返し、最後は盗んだ拳銃だけが頼りだった。この事件の永山則夫を鑑定した精神科医の石川義博先生の動画があります。長い長い動画だけど時間があったら観てください。この鑑定記録で高裁は永山を無期懲役にしましたが、最高裁は死刑を言い渡し、神戸の酒鬼薔薇聖斗事件の少年犯罪の見せしめのように急に死刑が執行されました。

ETV特集 永山則夫 100時間の告白 ~封印された精神鑑定の真実~ - YouTube

 

そしてもう1件の事件は老夫婦宅にお金がなくて強盗に入り、2人を殺害して死刑になった土屋和也。盗んだ金は7000円とリンゴ2個。

この土屋和也も貧困な家庭に育った。本当の父親は何が理由かわからないが母親はすぐに2度目の結婚をする。和也は2度目の父親を本当の父親だと思っていたが、母親の浪費癖が原因で、離婚。和也は4歳で2回も父親を失う。その後和也と姉は施設で育ち、大人になった和也は事件を起こし、死刑囚になる。母親に何度も手紙を書くも、母親から返事は来なかった。この事件を調べていた記者が「なんで返事を書かないんですか?」と尋ねると「へへへ・・・」と笑っていた。死刑が執行される前の手紙に初めて返事をしたらしいが、和也はきっと嬉しかっただろう。

切ないなぁ・・・・